2016年10月25日火曜日

社会の歯車になりたい(石坂)

学生の頃は、ロックかマンガか何かの影響で
「社会の歯車になんかなりたくない」なんて思っていました。


だけども、今は「社会の歯車」というのはそんなに悪くないんだな、と思っています。


人は誰しも、人と人のかかわりの中、すなわち社会の中で生きています。
その社会の歯車であることは、すなわち「誰かにとって必要とされること」に
該当するのではないでしょうか。


そして、自分の担う歯車が、社会の仕組みをまわす上で、
より多くの人に必要とされてたり、もしくはとても少数の人かもしれないけれども
大切にしてくれたりされることが大切なのではないでしょうか。
自分の居場所が感じられるのではないでしょうか。


「歯車になりたくない」というのは、「主体性をなくしたくない」という気持ちの
あらわれなんだと思います。その気持ちは素晴らしいな、と思います。
ですが、主体的であることは、社会の歯車であることとは異なります。
何か組織に所属する構成員でも、リーダーシップや主体性を発揮して活動している人や、
役職はチーム内では下なのだけれども、チームとしての意思決定や行動に
大きな影響を与えているような人が、どの人の身近にもいるのではないでしょうか。


自分がその地域にとって大切な歯車であることが感じられる地域、
そして歯車でいたいと思える地域というのが
「定住したい地域」なんだろうな、と思っています。


ではどうしたらそのような地域になれるのでしょうか。
そのうち考えをまとめてみたいと思います。

2016年10月20日木曜日

【アイデア】強みではなく、弱みを持つ人を募集する(石坂)

10/22(土)に東京国際フォーラムで開催されます「ふるさと回帰フェア」に、



改めて思うのが、我々も含めて多くの自治体が似たような内容でのPR
(自然きれい、ごはんおいしい、人やさしいetc・・・)になってしまいがちで、
移住希望者の人は選ぶの大変だな、と。



そして、やはり欲しい人材としても似たような内容になりがち。
子育て世代、挑戦したい仕事できる人、地元となじめたり集落行事に参加できる人、
起業家やフリーランスetc・・・。
やっぱり優秀な人や雇用を作れる人、子供がいらっしゃって地元の学校に通ってくれたり、
草刈りなどの集落維持の仕事を率先してくれたり、賑わいをつくってくれる人が
どこも欲しいですもんね。我々もそうです。



ちょっと今考えてみたいな、と思っているのが、
その人にとってある地域では致命的なように思えるけど、
ある地域では大きく問題にならない「弱み」を
持つ人を募集できないかな、と。



例えば、「満員電車に乗れない」や「スーツ着たくない」といった弱み。
久米島なら電車は無いですし、暑苦しいスーツはほとんどなく、
かりゆしウェアがフォーマルウェアとして浸透しています(葬儀もこれでOKらしいです)。



「スーパーがないと生きていけない」という人も、久米島は対応することができますし、
「インターネット」に関しても光回線が通っています。
「寒いところが苦手」な人も、1月の平均気温が東京では6℃ほどですが、
久米島は16℃前後。勿論久米島の人は「冬は意外と寒い」といいますが、
日本海の吹きすさぶ吹雪と比べたら圧倒的に暖かいです。



こんな感じで、「今いる場所で、多くの人は大丈夫なのだけど、
私には向いていないと思うところ」、そして「その地域では苦にならないところ」を
きいていけると、より生きやすい地域が選びやすくなるのかな、と
思ったりしてます。



僕は前述の「スーツが着れない」「ネットがない所には住めない」
「寒い所が苦手」というのと、「たまに都会の空気吸わないと呼吸困難になる」
「誰とも合わず引きこもりたくなる時期がある」
「田舎には住みたいが、草きれいに刈ったりなどの丁寧な暮らしが求められすぎるとつらい」
などの弱点があります。
この弱点も含めて自分、と開き直ってしまってる部分があります。
ので、この弱点が致命的な場所では生きづらさを感じますね。



こういった「弱み」をお互いに見せ合える社会は、決して悪くないんじゃないかと
思っております。「自分はここが弱いからこうしてほしい」という要望を
素直に出し、それに対して「うちでは問題ない」
「申し訳ないがうちではその弱みは致命的だ」といった
率直なコミュニケーションができる社会は。



皆様はいかがでしょうか?
もし皆様とお会い出来たなら、「あなたの弱いところ、苦手なところ」
「今いる場所でここがつらい、といった事」についても、
可能な限り一緒にお話できれば幸いです。