2017年3月31日金曜日

一年間ありがとうございました!(フルヤ)

みなさまこんにちは。
島ぐらしコンシェルジュのフルヤです。

この三月末を持ちまして、任期満了に伴い島ぐらしコンシェルジュ・地域おこし協力隊を卒業いたします。

一年間という短い間でしたが、島のみなさまには大変お世話になりました。
「たった一年で島を分かった気になるな!」というお叱りをいただきそうな気もしますが、ヨソモノだからこそ感じる島の魅力や、島の日常がまだ「当たり前」になっていない一年だからこそ気付ける良さがあり、それは本物ではないかと思いますので、ここに少し書かせていただきたいと思います。



この一年で、私が心から「久米島の一番の魅力だ」と感じたのは「ひと」です。

「きれいな海や自然がある」「気候があたたかい」「那覇から飛行機で30分と結構近い」などの環境面の条件的な部分ももちろん魅力的なのですが、やっぱり移住すると「暮らし」が中心になります。日々の「暮らし」の中には職場はもちろん、買い物する時のお店の人との会話・普段の友だち関係など、人間関係が必ず関わってきます。

島の人間関係はやはり都会より濃く感じます。以前あるマンションでの「挨拶禁止」というニュースが巷で話題になりましたが、こちらでは想像できないなぁと思いました。

スーパーでも、飲食店でも、店員さんがすぐ覚えてくれるので会計しながら子育ての話をしたり、個人商店だったらお店の人がこどもと遊んでくれたり。道を歩いていると、おじいちゃんおばあちゃんが「かわいいねー」と頭をなでてくれたり、「この先足が引っかかりそうなとこがあるから気をつけてよ!」と教えてくれたり。

なんだか、「店の人とお客さん」とか「ただ道ですれ違うだけの知らない人・関係ない人」としてではなくて、「私とあなた」で話ができるような感覚があって、東京から来た私にはそれがとても嬉しく感じました。「生きた会話ができる」ような感覚というか…

島が狭い分、いつなんどきでも知り合いに遭遇する可能性が高く、それが落ち着かないとか、やはり話が広まりやすいところはあるので、それが耐えられないという人にはあまり向いてないかなと正直なところ思いますが…
仕事で関わった方も、そうでない方も、島のことを教えくださったり、野菜や魚のお裾分けをくださったり、頑張ってるねと声をかけてくださったり…外から来て右も左も分からない私を、みなさんあたたかく助けてくださいました。久米島はコミュニケーションを大切に暮らしていける島だと思います。私にとっては、それが最大の魅力でした。

また、ちょっと難しい話になりますが、今久米島では「第二次久米島町総合計画」という10年間のまちづくり計画の元、住民と行政が一緒になってよりよい久米島を目指して活動していこうとしています。住民が主体となってまちづくりに関わる「久米島 ドリー部チャレンジ!」というプロジェクトも生まれました。ここに関わる住民のみなさんは、島の出身者だったり、島嫁だったり、移住者だったりしますが、みんなが「しまんちゅ」としてよりよい島のための想いや行動力を持っています。

今久米島では、島のひとたちがつながり、ひとつになって久米島の次の10年をつくっていこうという動きがはじまっています。熱い想いや面白いアイディアを、どんどん行動に移していくひとたちが、島にたくさんいること。そしてその流れの中に、移住者であっても、島を敬い、貢献したい想いがあれば関わることのできる「関わりしろ」がある、自分が住む土地のために自分が役に立てる余白があることも、久米島の大きな魅力ではないでしょうか。

島で暮らしたこの一年でつながったご縁はこれからも続いていくと思っています。
私は一度島を離れてしまいますが、折に触れて子どもと一緒に戻って来たり、次の土地で久米島の良さをまわりに熱く語ったり(笑)、私なりの形で島とつながっていきたい、応援していきたいと思っています。

東京生まれ・東京育ちの私ですが、「第二の故郷だと思って」と島の方に言っていただけたことがとても嬉しかったです。

島ぐらしコンシェルジュは卒業しますが、また別の形でみなさまにお会いできるのを楽しみにしております。

一年間、本当にありがとうございました。

久米島 島ぐらしコンシェルジュ フルヤ



2017年3月18日土曜日

田舎の自立とは何か?強者と弱者、旅行者と土地の人、都会と田舎の関係を考える(石坂)

島ぐらしコンシェルジュの石坂です。
もうすぐ春ですね。



自立とは「依存先を増やすこと」という記事に心を打たれ続けています。
筆者の 東京大学先端科学技術研究センター准教授 熊谷 晋一郎氏はこのように仰っています。



”「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。”




この記事に出会ってから、「自立」という言葉を見直しております。
例えば、旅行者と土地の人の関係を見てみます。



2016年の夏、大型台風が沖縄全域を襲いました。
その時に思ったのは、旅行者は、その地域においては圧倒的弱者だな、と。



台風の時は営業できないお店もあり、移動も思うようにいきません。
旅行者さんにとっては、食事や買物ができなかったり、
いつ船や飛行機が出るのかわからなかったり・・・
とにかく大変な思いをしたのではないでしょうか。



旅人は弱者です。
依存できるのが、情報とお金、そして土地の人の厚意だけだからです。
そして、土地の人は強者です。
家や備蓄、情報、人間関係など、旅行者とくらべて様々なものに依存できるからです。



一方、視点を変えると、旅人は土地の人よりも強者であるとも言えます。
なぜなら、彼らは行き先を選べるからです。
無数の場所へ依存することが可能なのです。
彼らにとって、訪問先としての久米島はワンオブゼムで、
久米島に魅力がないと感じたら、すぐに他の場所へ行くことができます。



しかし、土地の人にとっては、久米島はワンオブゼムではなく、
オンリーワンの存在です。
世界は「久米島」か「他の場所」かに二分されます。 「魅力があるからいる」「好きだからいる」という世界ではなく、
「この土地がありきで生きている」という感覚に近いのではないでしょうか。



このように、両者の関係は目線を変えれば強者と弱者が
入れ替わるようなバランスにあります。
そして、この関係は面白い構造をしています。
スパイラル構造です。



正のスパイラルを見てみます。
台風の時、困っている旅行者がいたとします。この時、この旅行者は弱者です。
それを、強者である地元の人が、何らかの手段で助け、
旅行者と仲良くなったとします。
「今回は散々な目にあったかもしれないけど、また来てよ。
この島はいいところだから」と地元の方は語りかけ、
旅行者は「そうですね、何よりあなたに会いにまた来ます」と
笑顔で盃を交わします。
そして実際に翌年この旅行者は、
他にも旅行先があるにもかかわらず、少ない休みを調整し
その地元の人に会いに来るかもしれません。
このように関係を紡いでいければ、
旅先や第二の故郷としての久米島のプレゼンスは
次第に強化されていきます。
ひょっとしたら気に入って移住してくれるかもしれませんし、
そうでなくても沖縄や久米島のファンとして
島外で宣伝してくれるかもしれません。



負のスパイラルは、もうおわかりでしょう。
旅行者が困っていても、何も助けたりしない。
関わりもせず、お金だけ落としてもらうことを期待している。
そうすると、その旅行者は「もうこりごりだ」と、
二度と訪れることがないでしょう。



このように「強者と弱者」の関係は視点を変えれば入れ替わります。
そしてこの関係は、今回の「旅人と土地の人」という関係のみならず、
「移住者と地元の人」「都会と田舎」などという
様々な関係にも置き換えられます。
例えば、都会のサラリーマンと、
田舎にいる農家などの生産者さんの関係を見てみます。



平常時はお金の価値が高く、交換できるもの(=依存先)が多い為、
都会のサラリーマンは豊かな生活ができます。
百ある田舎、生産地から、購入する商品や場所を選べます。
しかし、田舎にいる生産者は、自分の土地でとれるものを
売るしかありません。
売り先は、人口が集まり、経済も活発ないくつかの都会が
メインになるでしょう。
依存先が少なく、都会目線から見ると
「田舎の生産者は自立していない」と言えます。



しかし、戦争や震災など有事には貨幣経済が混乱し、
通常の消費活動ができなくなります。
そうすると、都会と田舎間の強弱の関係は逆転します。
都会では主にはお金を使ってでしか、
食料や生活必需品は手に入れられませんが、
田舎の場合はお金以外に土地や田畑、海や山など、
様々なものに依存できるからです。



強弱の関係は、視点や条件によって逆転しうる。
ある条件下では強者でも、条件が変わると弱者になりうる。
ある視点では、「田舎は自立していない」と言われますが、
「都会は自立していない」とも言える。



おそらく「自立」とは「どちらが依存先が多いか」の話でしかなく、
それは時流次第でシーソーのように揺れ動くものであると考えます。
そして、適切に依存し合うからこそ、お互い生きていけるものであるとも。
二者において、お互いの果たすべき役割を理解し、
適切に依存しあえれば、より良い関係が作れると思っております。
そのような関係の作り方を、これからも仕事を通じて考えていきたいです。



ちなみに、久米島では台風の時には、旅行者さんや暮らしている方が大変だからと、
町の人は商店や飲食店を開けて食事ができるようにしたり、
ラジオやインターネットなどで様々な情報提供をされていました。
頭が下がる思いでした。

2017年3月12日日曜日

私とミッキーマウスの共通点?(シマブクロ)

●突然ですが…


シマブクロです。
今回は(も?)結構くだらない話題です。

突然ですが、私とミッキーマウスの共通点てなんだと思いますか?
あ、私は昭和59年生まれのネズミ年ですが、それではありませんよ。
今回は、私たちの共通点について書こうと思います。


●それはとある質問から


先日、某大学の教授の方々が、本町の移住・定住の取り組みについて、
視察に来られました。
島ぐらしコンシェルジュの活動についてひととおり説明した後、
教授のおひとりが私に聞きました。

「リゾート地に住んでるって、
どういう気持ちですか?」


リゾート地。
一瞬固まりましたね。
ああ、そうだ、
久米島ってリゾート地だったわ!
という感じでした。

正直に「実際住んで暮らしていると、
全然リゾート地という感覚ではないですよ」
とお答えしました。
お二人は
「ふ~ん、そんなものか」
という感じの表情でした。


●久米島の人にとってのリゾート地


私が久米島に来た最初のきっかけは
某ホテルでの「リゾートバイト」だったので、
リゾート地であることに間違いないと思います。
しかし、現在の私は家と保育所と職場の往復の日々。
ビーチチェアに寝そべり、トロピカルカクテルを片手に青い海を眺め、
「は~癒される~♡」なんて日々は送っていないわけです。
(そりゃそうだ)

試しにWikipediaで「リゾート」を調べてみたら、
”大勢の人が休暇・余暇を過ごす場所のこと。行楽地”
と書かれていたので、
そこに住んでいる人は、
休暇・余暇ではなく生活している訳で、
リゾートと感じられないのは当たり前ですよね…
それをちゃんと説明できたらよかったなぁ。反省。

ところで、そんな久米島に住んでいる人は、
休暇・余暇を過ごすために、どこに行くのでしょうか??



これはかなり個人的な感想でアレなのですが…

あの千葉県にある夢の国…

東京ディズニーリゾート

なんじゃないかな~と思っております。

「そんなことないわ!!」
という方、ごめんなさい。
「ディズニー行ってきたよ~☆」という方、まわりにとっても多いので…。

ディズニーまではいかなくても、
「ライカム行ってきたよ!」とか「とにかく那覇!」とか、
日ごろ自然に囲まれて生活しているからか、都会に行くような感じがします。
「他の離島に行く」とかは、あまり聞いたことがないような。

ディズニーに話を戻しますが、
ディズニーランド、ディズニーシー
夢の国、まさにリゾート地ですね。
人も多いですが…”余暇に非日常を味わう”という点では、
目的に合致しているともいえます。

ミッキーやミニーさんたちも大歓迎してくれますしね。

…そしてふと思うのです。
ミッキーやミニーたちにとっては、ディズニーランドこそが日常です。
きっと彼らにとって、ディズニーランドはリゾート地ではないはず。
そんな彼らは、どこに「リゾートに行く」のだろうと。

もしも、「南の島に行きたい!」と思って、
久米島に来てくれたら…
同じ「リゾート地」に暮らす者同士
心のこもったおもてなしをしてあげたいな
と、そんな妄想をしてしまいました。




著者:Don Sullivan