久米島は晴れの日が続いています。
てつがくカフェをやります
僕らと同じ地域おこし協力隊のF岡くんから発案頂き、「てつがくカフェ」を開催してみようと思っております。てつがくカフェとは
「てつがくカフェ」とは、パリのカフェで生まれた、飲み物を片手に参加者同士で特定のテーマについて話し合う試みです。哲学者マルク・ソーテ(1947年–1998年)が創立しました。
「まちづくり」の行き着く先
ひょっとしたら、「なぜ哲学?」といった声が聞こえそうなので、少しこのブログで補足しておきたいな、と思っております。現在、全国各地で「まちづくり」「地域活性化」「地方創生」をキーワードに様々な活動が盛んに行われています。目をみはるような本質的な取り組みや、単なる話題作りとも思える取り組み、様々な試行錯誤が行われています。
これら「まちづくり」「地域活性化」「地方創生」が、最終的には何を目指すべきなのだろうか、と常々考えておりました。
答えは取り組む人それぞれなのでしょうが、僕は「まちに住む人の成熟」じゃないかと思っております。
そして、成熟とは、「理知的にバランスをとる」ということだと。
貧困問題の解決や社会保障、地域社会の維持には、自給自足・多産多死のコミュニティを除くと、変化と経済発展がどうしても必要なように思います。
ですが、過度な変化と経済発展の結果、守るべき美しいもの、地域の誇り、アイデンティティを失ってしまうようなことも見受けられます。シーソーのように揺れ動きながらバランスをどこかで見つけていくものなのだとイメージしています。
その中で、経済発展できたコミュニティや、反対に衰退し消滅したり分散したコミュニティがあっても、きっと成熟できたコミュニティというのは世界じゅうには殆どなく、まだまだ未熟な我々が学習と試行錯誤を繰り返しているような世界なのだろうなあ、と思っております。
成熟に必要なこと
「コミュニティの成熟とは何か」「成熟した人間とはどのような人か」といったテーマについては、ぜひとも議論を重ねて行きたいところではあります。ですが、「人間やコミュニティの成熟に絶対不可欠のように思えること」があります。それは、理想と哲学と対話です。
理想とは、「世界の目指すべき姿」です。何か目指すべき姿がある、という前提がなければ、この世はランダムに殺戮が起きる地獄のような世界と化すような気がします。(それもまた自然界の真実なのかもしれませんが)。
哲学とは、答えの見えない問いを問いかけ続け、様々な観点から疑い続けることです。どのような答えも鵜呑みにせず、自分の頭で問いを生み考え続ける行為こそが哲学であると考えます。
そして、対話とは、人格が傷つけられること無く考えを交換し、それぞれの思考を磨く行為です。この行為ができれば、自分の頭脳だけでは考えつかない発想を手に入れ、自分のものとすることができます。
この3つの柱は、成熟した社会を考える上で、どうしても必要な概念のように思えるのです。