2017年3月18日土曜日

田舎の自立とは何か?強者と弱者、旅行者と土地の人、都会と田舎の関係を考える(石坂)

島ぐらしコンシェルジュの石坂です。
もうすぐ春ですね。



自立とは「依存先を増やすこと」という記事に心を打たれ続けています。
筆者の 東京大学先端科学技術研究センター准教授 熊谷 晋一郎氏はこのように仰っています。



”「自立」とは、依存しなくなることだと思われがちです。でも、そうではありません。「依存先を増やしていくこと」こそが、自立なのです。これは障害の有無にかかわらず、すべての人に通じる普遍的なことだと、私は思います。”




この記事に出会ってから、「自立」という言葉を見直しております。
例えば、旅行者と土地の人の関係を見てみます。



2016年の夏、大型台風が沖縄全域を襲いました。
その時に思ったのは、旅行者は、その地域においては圧倒的弱者だな、と。



台風の時は営業できないお店もあり、移動も思うようにいきません。
旅行者さんにとっては、食事や買物ができなかったり、
いつ船や飛行機が出るのかわからなかったり・・・
とにかく大変な思いをしたのではないでしょうか。



旅人は弱者です。
依存できるのが、情報とお金、そして土地の人の厚意だけだからです。
そして、土地の人は強者です。
家や備蓄、情報、人間関係など、旅行者とくらべて様々なものに依存できるからです。



一方、視点を変えると、旅人は土地の人よりも強者であるとも言えます。
なぜなら、彼らは行き先を選べるからです。
無数の場所へ依存することが可能なのです。
彼らにとって、訪問先としての久米島はワンオブゼムで、
久米島に魅力がないと感じたら、すぐに他の場所へ行くことができます。



しかし、土地の人にとっては、久米島はワンオブゼムではなく、
オンリーワンの存在です。
世界は「久米島」か「他の場所」かに二分されます。 「魅力があるからいる」「好きだからいる」という世界ではなく、
「この土地がありきで生きている」という感覚に近いのではないでしょうか。



このように、両者の関係は目線を変えれば強者と弱者が
入れ替わるようなバランスにあります。
そして、この関係は面白い構造をしています。
スパイラル構造です。



正のスパイラルを見てみます。
台風の時、困っている旅行者がいたとします。この時、この旅行者は弱者です。
それを、強者である地元の人が、何らかの手段で助け、
旅行者と仲良くなったとします。
「今回は散々な目にあったかもしれないけど、また来てよ。
この島はいいところだから」と地元の方は語りかけ、
旅行者は「そうですね、何よりあなたに会いにまた来ます」と
笑顔で盃を交わします。
そして実際に翌年この旅行者は、
他にも旅行先があるにもかかわらず、少ない休みを調整し
その地元の人に会いに来るかもしれません。
このように関係を紡いでいければ、
旅先や第二の故郷としての久米島のプレゼンスは
次第に強化されていきます。
ひょっとしたら気に入って移住してくれるかもしれませんし、
そうでなくても沖縄や久米島のファンとして
島外で宣伝してくれるかもしれません。



負のスパイラルは、もうおわかりでしょう。
旅行者が困っていても、何も助けたりしない。
関わりもせず、お金だけ落としてもらうことを期待している。
そうすると、その旅行者は「もうこりごりだ」と、
二度と訪れることがないでしょう。



このように「強者と弱者」の関係は視点を変えれば入れ替わります。
そしてこの関係は、今回の「旅人と土地の人」という関係のみならず、
「移住者と地元の人」「都会と田舎」などという
様々な関係にも置き換えられます。
例えば、都会のサラリーマンと、
田舎にいる農家などの生産者さんの関係を見てみます。



平常時はお金の価値が高く、交換できるもの(=依存先)が多い為、
都会のサラリーマンは豊かな生活ができます。
百ある田舎、生産地から、購入する商品や場所を選べます。
しかし、田舎にいる生産者は、自分の土地でとれるものを
売るしかありません。
売り先は、人口が集まり、経済も活発ないくつかの都会が
メインになるでしょう。
依存先が少なく、都会目線から見ると
「田舎の生産者は自立していない」と言えます。



しかし、戦争や震災など有事には貨幣経済が混乱し、
通常の消費活動ができなくなります。
そうすると、都会と田舎間の強弱の関係は逆転します。
都会では主にはお金を使ってでしか、
食料や生活必需品は手に入れられませんが、
田舎の場合はお金以外に土地や田畑、海や山など、
様々なものに依存できるからです。



強弱の関係は、視点や条件によって逆転しうる。
ある条件下では強者でも、条件が変わると弱者になりうる。
ある視点では、「田舎は自立していない」と言われますが、
「都会は自立していない」とも言える。



おそらく「自立」とは「どちらが依存先が多いか」の話でしかなく、
それは時流次第でシーソーのように揺れ動くものであると考えます。
そして、適切に依存し合うからこそ、お互い生きていけるものであるとも。
二者において、お互いの果たすべき役割を理解し、
適切に依存しあえれば、より良い関係が作れると思っております。
そのような関係の作り方を、これからも仕事を通じて考えていきたいです。



ちなみに、久米島では台風の時には、旅行者さんや暮らしている方が大変だからと、
町の人は商店や飲食店を開けて食事ができるようにしたり、
ラジオやインターネットなどで様々な情報提供をされていました。
頭が下がる思いでした。